気づかないふりをしても気づいていることもある
札幌に来ました。札幌にくると自分の中の時間の流れが変わる気がして、
いろんなことを考えたり思い出したりします。
そういえば大学の卒業式の日にゼミの先生のところに挨拶に行ったとき、
「頑張ります」と言った僕に対して先生がおっしゃった言葉が
「無理するなよ、仕事なんていくらでもあるから」
。。。。。。
「えっ?」というか「そりゃないでしょはりきってるのに」
(そんなこと先生には言えませんが)とかなり気が抜けたことを思い出します。
当時、確かに僕が就職することに対して周りの友人も
なんとなく違う気がするけど大丈夫?と心配していました。
実際どうなんでしょうね。
ただ、昔は人は歳をとると偏屈になるなあと思っていたことが
なんとなく現実に自分にもあてはまりだしている気がします。
協調性のかけらもないことに気づかないふりをしながら
ずっと過ごしてきましたが、最近はますます無理して人に合わせられないというか。
(う〜ん。うまく表現できないなあ。。。。)
自分が思ったり感じたりしていることが、上手く他人と共有できない気がして仕方ないです。
何なんだろうこの感触。誰のことも馬鹿にしているつもりも軽蔑しているつもりもなくて
ただ、ただ、人は人で自分とは違うと思ってしまうだけなんですが。。。
とはいえ会社であったり取引先であったり得意先であったり集団の中で
一個人として振舞うには多分、駄目なんだろうなあと客観的に思ったりもします。
むいてないと一言で片付けててしまうとあまりにも簡単で
いろんなことを放棄している感じがしてとても嫌なんですが。。。
いくら気づかないふりをしても本当は気づいていることもあるというか。。。。
嫌なことは嫌だし、できないことはできないんだけど
人はなぜ、自分ができることを他人もできるとか
自分が気持ちいいいことは他人も気持ちいいと思い込んでしまうのでしょうか。。。。